坂口安吾

2013年12月27日金曜日

写真 小説

「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」をふと再読しました。

この二つ、同じような話と言えば同じような話です。
要は主人公の男が、イッてしまっている女に振り回され、掻き回される話。利己的で理不尽な女に、(比較的)まともな男がどこまでついて行けるか、どこでどうついて行けなくなるか、というのがポイント。そこは一緒です。大きく違うのは、振り回す側の、つまりは女の、自覚のあるなしでしょうか。

「桜の〜」の女のイカレ具合、特に中盤の飛ばしっぷりには圧倒されます。パラノイアともいうべき、度を超した執着心と没頭。まさに凄まじい。しかし、彼女には意志がない。こうしたい、ああしたいという欲があるだけ。そこにポリシーのようなものはないのです。ただ狂っているにすぎない。

それに対して、ヒメこと夜長姫は、はっきりとした意志を持っています。そして自覚的にイカレている。イカレていることを自覚しているのではありません。自分の性向を自覚しているということ。何を言っているか自分で分かっている。無邪気で、無意識で、無頓着ではあるけれど、無自覚ではない。

こうしたヒロインの違いが、物語の終わり方にも大きく影響していると言えます。「桜の森の満開の下」の方が、話としては綺麗で、余韻が残る。美しい。しかしそこに、さんざ振り回した女の存在感はありません。文字通り消えてしまう。一方、「夜長姫と耳男」の方は、最後の最後までヒメのお話。ラストは少し素直に過ぎる気もしますが、それだけに清冽な存在感を見せて終わる。そして、余韻というには少し強い、軽い喪失感のようなものを残します。

結局私は「夜長姫と耳男」の方が好きなのです。それはもう、夜長姫が好きですと言っているようなものですが。エゴイスティックな女のまっすぐな言葉に震えてしまう。耳男と一緒ですね。

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自己紹介

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ちゃり@air_chari)と言います。夜行性です。朝は弱いです。写真が好きです。猫や花やなにやらを撮ります。ベランダでこじんまりと園芸してます。最近はゲームばかりです。皓月庵(こうげつあん)は屋号みたいなものです。

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